コルトマン博士の書簡
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『フルート材料の音色への影響』を別ページに記載しているのでここをクリックしてください。
そして、ウィーン国立音楽大学の学生の論文『壁材料とフルートの音』を和訳したのでここをクリックしてください。
WOODWIND WORLD 誌 1973年2月号の記事より
(訳注:英文雑誌名は「木管楽器の世界」の意味)
これはロジャー・マザー(Roger Mather)氏と著者の間で交わされた一連の書簡の第3番目のものである。
編集者宛の書簡という形で書かれた。
フルート構造部に使用される材料
Material used in FLUTE CONSTRUCTION
1971年に「Effect of Material on Flute Tone Quality」という表題の論文をコルトマン博士は発表しています。その後、ロジャー・マザー氏がその批評をWOODWIND
WORLD誌1972年9月号に載せており、それへのコルトマン博士の反論がこの書簡です。論文は技術論文らしい淡々とした文章ですが、この書簡は私見が述べられています。
それは次のところで原文を見ることができます。開いたページの項目番号1.08がその書簡です。
https://ccrma.stanford.edu/marl/Coltman/Papers.html
マザー氏の批評記事は残念ながら入手できていません。次のところに表題は出ていますがこれ以上は辿れませんでした。
http://www.flutopedia.com/refsF_acou.htm
マザー氏は恐らく次のところに記載の人物かと思われます。確証はありません。
http://clas.uiowa.edu/faculty/roger-mather-1917-2013
以下その和訳です。
by Dr. John W. Coltman
ロジャー・マザー氏の『管体材料と厚みのフルート音色品質への影響』という記事へコメントの機会を得て嬉しく思います。その記事は「Woodwind
World」誌の1972年9月号に掲載され、それは主としてこの題目の私の研究への批評に傾注したものです。
私達は確かに難題に対峙しています。――事実から神話を分離する課題です。それは、物理的原因で知覚した感覚に関することであり、また、単に同時に起きることなのか原因と結果に拠ることなのかを識別することです。
マザー氏の記事はいくつかのそのような論題を扱っています。しかし、彼の批評のタイトルにある主題に関係して、どんな証拠を彼が実際に有しているのかについて私はなおも興味を感じます。
初めに、私達は論題を明確にする必要があります。
マザー氏の質問は以下です。
『製造者、演奏者、聴衆の人達が言及する音色の違いは純粋に妄想であると結論すべきなのか?』
これに対する私の回答は以下です。
『もちろん否です。木製バロックフルートが銀製のベームフルートのような音を出すとは誰も主張していません。』
論点は『それは材料に起因するのですか?』ということなのです。
根本原因を見つけるのは簡単ではありません。マザー氏の記事は音色変化の多くの原因や、これら原因間の相互作用の可能性や、それらを区別する困難さを指摘するいい仕事をしています。
しかしながら、私は彼の最終結論には同意できません。
それは次です。
『多くの環境で多くの楽器を演奏する多くのフルーティストの経験を投票で決めるしか現在ではやりようがないように思われる。そして、各々の材料や特性影響は認識可能であり、それらは間違いなく存在するのである』
最後尾の言葉は直ちに投票纏め者の公平性への疑問を引き起こします。しかし、更に重要なのはこの方法は過去に明らかに成功しなかったのです。
文献は学究的に経験を積んだ人達が作成した記述が多く、それははなはだ反対的立場を取っています。
その理由には2要素があります。
第1:
演奏者と実験者は比較中の楽器が材料以外の差異点を有しているかどうかを知る道があるのは極めて稀です。事実、私は「他の変化点」有無の確認要求のなされた報告を承知していません。
第2:
音楽家は通常の演奏条件下では目前の問題から自身の個人的嗜好や偏見を分離することはできないのです。
私の作成した3本のフルートの場合は、手に取り演奏を試みたほとんど総ての演奏者はどれか一方を好みとしました。
しばしば演奏者は自分の印象を木製フルートはより豊かな音色であり、銀製はよりよく通る音が出るなどと描写しようとしました。そして私が述べた目隠し条件下では楽器の判別ができないことが分かり、演奏者は通例は困惑したのです。
演奏者の判断は先入観と音質の材料の他の特性を連想の影響を受けていることは明白な事実です。これは人間の正常な反応です。感情を芸術に組み入れる訓練をした者の場合は激しくなります。また、楽器が自己の体や人格の延長になっている者です。私はこの姿勢を見くびってはおりません。それは最高に芸術表現を達成するための望ましい条件であると私は信じます。
それは私が提示した件のような狭く客観的論題には不適なものです。すなわち、フルートが作られる材料が直接的に発生音色に影響を与え得るのか、という論題です。このような論題に対して意味のある作業を首尾よく行なうには、試験されている以外のあり得る変化を排除するだけでなく、実験の個人的傾向や連想や偏見を取り除くことは必須です。マザー氏がこれを行なうに優れた方法を見出すように望んでいます。
また疑問に対して適切に言い表すことが必要です。私が単に演奏者に好みの楽器を選ぶように願うとしたら、私は非常に有効な結論を得たことでしょう。
例えば
『材料以外は同一の3本の楽器の試験において、参加している80%のアーティストが銀製フルートを好みました。』
そのような情報は市場調査には役立ちます。
上記の理由でそれは材料が本当に音色に影響し得るかどうかの論題には答えていません。
マザー氏は私が行なった試験の正当性と適切性に疑問を投げかけています。そして私は彼の挙げた点にコメントしたく思います。
第1に私の用いたフルートは真のフルートでした。それらはベームフルートでもバロックフルートでもリコーダーでもありませんでした。それは疑問の余地なくフルートファミリーの仲間に入るものでした。更にそれは現代ベームフルートの重要寸法を非常に精密に近似させました。そのフルートは「本物の」フルートとは異なるかられ聴き慣れない音だろうとのマザー氏の仮説に反して、そのフルートの発生音は現代フルートの音を裏切らない演奏音でした。多くの演奏者は事実、音と応答性の良さをコメントしました。
私がデモを行なったすべてに渡り、材料はこれら楽器の音色に知覚できる影響は与えていないという事は事実です。そしてベームフルートもそんなに影響されないだろうという結論へは論理的ステップが要求されます。このステップはその逆よりも容易にであると分かりました。すなわち、演奏者と聴衆はある不可思議な方法でベームフルートとバロックフルートとリコーダーの材料影響を区別可能なのです。しかし「コルトマンフルート」では不可能なのです。
マザー氏の陳述に
『多くの演奏者達は管体材料よりも頭管部の材料や厚みが音色に影響することを観察している。』
とあることが私の興味をそそります。演奏者達とは誰なのか。彼等はどんな部品を作ったのか。彼等の観察は何処で記録されたのか。
漏れの意見には興味があります。漏れは音色の主たる元を構成することは完全に同意します。しかし漏れの効果は管の材料や厚みか何かで変化するなどとは誰も知りません。例えば、メッキフルートは概して金属的な音を出し、他方、木製や銀製フルートは鈍い音を出す傾向があるなどです。このような情報はどこから来たのでしょうか。私は多くの文献を読みました。そして、そのような陳述に出会ったことはありません。ここでその証拠を得ること、そして同様に後の陳述にある『多過ぎる湿気はフルートを鈍くし、少なすぎるのは金属的にする。』という証拠を得ることに興味があります。
私は管壁の湿気に関する管理された実験あるいは報告された観察を知りません。もしこれが全くの仮説に過ぎないとすれば、マザー氏は更なる情報を出す義務があります。私は興味を持って待ちます。
最後に、そのような事に関する明確な情報を得る価値がある理由をのべることは適切でしょう。新参の科学者が幾世紀もの芸道や熟練が構築してきたことを傷つけようとせっせと試みているのを見て多くの人達が不幸に思っていることを私は承知しています。しかし、もし材料がフルート音色に直接的には影響しないという私の考えが真実で、またこの事実が一般的に受け入れられてくるならば、私達は前にも増して想像力と表現に真により多くの自由度を得ることになります。
フルート開発が終ってしまわないように望みます。また新規メーカーが喚起されて新しい楽器を作り出すことで、過去に起きたことのように新進アーチストが芸術力を発展させることを望みます。
変更は容認できない変化を生み出すとの間違った概念のもとで、総ての楽器を1、2種類の材料で盲目的に真似て作るよりも、材料の美しさ、感触、加工性で材料を選択できると知ることはより好ましいことではありませんか。
空想から事実を注意深く分離することで、音楽家と楽器製造者が伝統(その多くは単に民間伝承に分類され得る。)に極端に頼ることから――芸術の利益になるのであるが――開放され得るのです。そしてこれら実験の中で私が携わったのはこの精神を持ってであります。マザー氏も同様に氏が約束する記事に心を向けるだろうと信じます
敬具
Dr. John W. Coltman