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 座談会記録
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     第3回: 趣味の言語学談義


第3回  趣味の言語学談義

2004年3月18日
Internet World Plazaにて

聞き手 久しぶりですね。今日は何のお話でしょうか。言葉と聞きましたが。
M氏 そうですね。今日は言葉に焦点を当てて雑談をしましょうか。単に言葉といってもとても範囲が広い。今日は英語とその親戚筋の話にしましょうか。
英語は中学から習い始めるのですが調べてみるとなかなか奥が深いですね。私等は地理や世界史も習ってきました。この2つと言語は密接に関連しています。地理を勉強すれば歴史が気になり、またその民族が気になって今度はその言葉が気になります。
聞き手 Mさん。あなたは技術屋ですね。このような文系にどうして興味を持つようになったのですか。
M氏 技術者とはいっても端くれですけどね。
そうですね。昔は地理には興味があったけれども歴史は嫌いでした。何故かと振り返って見ると学校で習う歴史はやたらと記憶のみに走らせます。これでは興味は湧きません。面白くなかった。
英語は興味はもともとあって中学の時から楽しく思いました。そうなると、結果として地理に必然的に興味が湧きます。イギリスやアメリカはどこかということですね。そうなると今度はその歴史に興味が出ます。しかし、残念ながら高校時代はそんな歴史を敬遠しました。興味はあっても敬遠したのですね。失敗でした。
聞き手 でも今は違うのですね。言語、歴史、地理は三位一体ですか。
M氏 まさにその通りです。でも道を踏み外したというべきか崇高な真理の探究という道から卑近な実学である工学の道を選んでしまったので今ではこれらは趣味や教養の範囲内でのことになりますね。
聞き手 言葉のどんなところに興味があるのですか。
M氏 言葉そのものは意思伝達の手段そのものですから、例えば英会話を身に付けるということは非常に重要なことです。でも私の場合は、素養がないのか、やり始めが遅すぎたのか、兎に角中途半端状態です。特にhearingは難しい。そこそこのレベルかというとそうでもない。会話はhearingが出来なくては成立しませんね。まあそんなレベルです。
しかし英語の言語学の本を読むとこれは興味一杯ですね。成り立ちが分かります。それを勉強すること自体が興味です。
聞き手 言語学とはどのようなものなんでしょうか
M氏 一口に言葉の学問といっても、これは範囲が非常に広いと思います。
      比較言語学
      音声学
      音韻論
      言語地理学
専門家でないからわからないが、統語論などもっと分類できるのではないですか。生理的、医学的な面と結びついた分野もありそうですね。 私は全てに興味がありますね。言葉は生きています。過去から変化しつつ連綿と続いています。
聞き手 日本語はどうなんでしょう。興味の対象は英語に限定なんですか。
M氏 そうですね。自分の言葉の日本語が確かに大事ですね。残念ながら日本語というのはまだ素性がはっきりしない言葉です。古くは橋本進吉博士の『古代日本語の音韻について』(岩波文庫)に見える8母音説、そして大野晋先生の数々の著書、服部四郎先生の『日本語の系統』(岩波文庫)など昔から数多くの研究、それに梅原猛先生のアイヌ語との比較研究などがありますが、日本語の研究は少ない文献と漢字表記文献のため解明が難しいようですね。
ウラル・アルタイ語族に属するのだろうとは考えられても証明には至っていませんね。いまだ孤立した言語です。でも確かにアジアの言語として韓国語/朝鮮語やモンゴル語などとは近い言語構造ですから、どこかで繋がっている筈ですね。
私は興味を抱いてそのような本を随分と読みました。でもこの話題はまたの機会にしましょう。
聞き手 そうですね。今回は英語など印欧語に絞りますか。英語の場合は日本語とは大分事情が違うということですか。
M氏 その通りです。多くの先達がいて、現在『インド・ヨーロッパ語族』といわれる言語一族の縁戚関係を解き明かしてきたのです。解き明かせた原因はいろいろあるでしょうが、なんと言っても古い言語記録が残っているからでしょうね。古くは楔形文字からギリシャ文字、ローマ字まで、そして記録が古い。楔形文字の場合は日本語表記のように表音と表意の混合記載のため厄介だったのです、その他大部分は表音文字なので解明がし易かったのです。
聞き手 最初の取っ掛かりというのはあったのでしょうか。なにかトリガになったようなことです。
M氏 あったのです。有名な話ですね。かつてインドはイギリスの植民地だったわけですね。カルカッタの高等法院判事のSir William JonesがSanskrit語を勉強し造詣を深め、それが驚くほどラテン語に近いところがあることを見出しました。
この話は1786年にベンガル州の王立アジア協会に報告されて大きな反響を呼び、これが印欧語を研究する『比較言語学』の幕開けとなったのです。
『lux ex oriente 光は東方から』といわれたのですね。
聞き手 インドの言葉がイタリアの言葉と関係があるということは当時としては信じがたいことだったかもしれませんね。
Sanskrit語は日本では梵語といわれたのではないですか。
M氏 そうですね。梵語ですね。
唐三蔵法師玄奘の般若心経などは梵語を研究しないと本当の意味はわからないでしょうね。お釈迦様はインドのガンジス川中流域に栄えたMagada国の王子だったわけですからね。
例えば『摩訶般若波羅蜜多』とは?と問われても分からないですね。『摩訶』とは『maha』らしいですけどね。大きいという意味です。maha raja(大王)の『maha』です。このmaha raja(大王)はラテン語に対応付けるとmega rexになります。megaは技術用語のMega-Hertzなどに多く使われていますね。rexはTyrannosaurus rexで知っていますね。ラテン語と似ているのが実感できるでしょう。
それに卒塔婆stupaには梵字が書かれています。日本人もSanskrit語には無縁ではなかったということですね。
聞き手 なぜインドとローマの言葉に縁戚関係があるのでしょうか。地理的にも離れているし信じがたいことですね。
M氏 そうですね。歴史を遡る必要があります。Sanskrit語はインドの非常に古い言葉です。インド人は大昔ヒマラヤの西側を通って北方から移住してきたことが分かっています。
その当時インドにはDravida系の人が住んでいて、その人々を征服したのがアーリア人と呼ばれるHindi系、Gujarati系を始めとするインド人です。このようにして被征服民のDravidaの言葉はSanskritとは縁戚関係はありません。
またモヘンジョダロやハラッパの遺跡で有名なインダス文明を滅ぼしたのもこのアーリア人ではないかとの説があります。
聞き手 Dravidaといえば今インドの南部の人々ですね。Tamil語はその一派と聞きましたが。
M氏 その通りです。大野晋先生の研究で有名なTamil語です。その人々はアーリア人によって南へと追いやられたのですね。これはイギリスのアングロサクソンとケルト族の関係や大和民族とアイヌの関係に似ていますね。
聞き手 そうするとアーリア系のインド人とローマ人は大昔は近いところに住んでいたということですか。
M氏 人種と言語は必ずしも一致はしませんがそういうことでしょう。カスピ海の傍らしいと言われていますね。
聞き手 雄大な話ですね。印欧語というのはどんな相互の関係にあるのですか。
M氏 研究成果は今では当たり前の話になっています。印欧語は大きく分けて、ロマンス語派、ケルト語派、ゲルマン語派、スラブ語派、ギリシャ語派、インド/イラン語派などの分類されています。非常に広い地域を占めているのが分かりますね。
聞き手 珍しい語派はありますか。
M氏 そうですね。有名なのはヒッタイト語ですね。紀元前12~17世紀頃の今のトルコにあるアナトリア高原の強力な帝国で、紀元前1285年「カデシュの戦い」でエジプトに勝っています。ヒッタイトはエジプトで発見されたアマルナ文書で有名ですし、聖書にはヘテ人という名で出てきます。
ここの言葉が印欧語派でした。フロズニーという素人学者がトルコのボアズキョイの遺跡から出土した粘土板に書かれた楔形文字を解読したことで有名です。『パンを食べ、水を飲む。』という文章の解明をきっかけにヒッタイト語を解読したと言われています。ここに書かれていた『水』は『waatar』だそうです。英語にびっくりするほど似ていた。
聞き手 ロマンを誘いますね。参考にお互い似ている言葉を比較してもらえますか。
M氏 そうですね。一番身近な例として数詞を見てみましょう。

英語 ドイツ語 ラテン語 サンスクリット語 ギリシャ語 古代教会スラブ語 トルコ語 日本語
1 one eins unus ekas heis jedinu bir hi
2 two zwei duo dvau duo duva iki fu
3 three drei tres trayas treis trije uc mi
4 four vier quattuor catvaras tettares cetyre dort yo
5 five fünf quinque panca pente peti bes i
6 six sechs sex sat hex sesti alti mu
7 seven sieben septem sapta hepta sedmi yedi nana
8 eight acht octo astau okto osmi sekiz ya
9 nine neun novem nava ennea deveti dokuz kono
10 ten zehn decem dasa deka deseti on to

M氏 このように印欧語は相互に関係のあるのが分かります。お互いの違いに規則性があるのです。それに対して日本語やトルコ語など非印欧語は全く違います。
聞き手 典型的な語派の話をしてください。ロマンス語派とはどのような言葉でしょうか。
M氏 ロマンス語派のもとはLatin語です。ローマ帝国の文語ですね。最初はローマ付近の小さな範囲を占めていたに過ぎなかった。
Caesarの書いた『ガリア戦記』を読むと2000年前のことが良く分かります。CaesarはBC50年ごろの人です。ライン川の南それにブリテン島の南がローマの主権が及んだところです。Caesar自身はブリテン島まで遠征しています。当時ライン川の南には広くケルト系の人々が住んでいましたが、ローマの言葉であるラテン語に取って代わりました。とはいっても、ラテン語の口語である俗ラテン語やその地のケルト語の影響を受けて、フランス語、スペイン語、カタロニア語、ポルトガル語、ルーマニア語などの言葉に発展したのですね。
もとになったケルト語はラテン語とは印欧語としての縁戚関係があるので容易にラテン語化されました。そして残ったケルト語は辺地に追いやられてしまいました。その末裔が、スコットランド北のハイランド地方のゲール語、アイルランド西のゲール語そしてウェールズ語です。フランスのブルターニュ地方にはイギリスのコーンウォールから逃れてきたブリトン語が残ります。残ったこのようなケルト語は今では音が根本的に変化してしまい、非常にとっつき難い言葉になっています。私はウェールズ語を解説した英語の本を持っていますが、読むほどに難解で頭が痛くなります。
このようにケルト語の勢力は縮小はしたのですが、人種的にはフランス人などはケルト人です。言葉は駆逐されても人種は概ねそのままでした。
(WELSH ― a complete course for beginners --- Hodder & Stoughton発行 ISBN 0-340-49564-2)
聞き手 もう一つの大きな派はゲルマン語派ですね。
M氏 そうですね。その語派の故地はスウェーデンのバルト海にあるゴトランド付近だったようです。彼らはローマ人から見れば未開の野蛮人でした。
聞き手 その当時の記録はあるのですか。
M氏 ありますね。典型的な記録はTacitusの書いた『ゲルマーニア』です。これは泉井久之助先生が訳していて岩波文庫で手に入ります。非常に興味ある内容です。その当時ゲルマン人は大西洋に流れ出るライン川を境にその北に住んでいました。その本には当時のゲルマン人の生活、風俗、体躯、性質、支族など事細かに書かれています。卑下しつつも賞賛しているのですね。ローマはいつかやられると示唆しているところもあります。Tacitusは紀元1世紀の人物です。また泉井久之助先生の注は素晴らい。本文よりも注のほうが長いのです。印欧語としての語源解釈など興味が尽きません。
当時はまだイギリスに移住したアングル族、サクソン族、ジュート族などはユトランド半島付近にいた時代で、ゲルマンの大移動が始まる前です。
聞き手 一読の価値ありですね。
M氏 そうですね。是非読んで欲しいですね。2000年前のヨーロッパの状況が良く分かります。日本はその頃は弥生時代でした。ゲルマン人と比べると必ずしも日本は遅れていなかったかも知れませんね。でも文化の質が随分と違いますね。狩猟民と農耕民の差ですね。
聞き手 ゲルマン系の言葉の英語は現在では事実上世界共通語ですね。ゲルマン系の語派の特徴はどの辺にありますか。
M氏 ゲルマン語派の歴史も面白いですね。述べたようにスカンジナビアのゴトランド島あたりが発祥という説があります。地理的にはフィンランドに近いのですが、フィンランドの言葉の系統は別です。それはウラル・アルタイ語族のフィン・ウゴール語派に属します。日本語に似た文法構造をもっています。ハンガリー語もその語派でこれはヨーロッパに食い込んだアジア系の言葉です。
ゲルマン語派は北、西、東に分類されます。北はデンマーク語などのスカンジナビア語です。東はゴート語です。ゴート族は歴史に現われGothicという言葉に残っていますが言語自体は消滅しました。西の一派は英語、オランダ語、ドイツ語などです。
聞き手 西の一派からの言葉が勢力を伸ばしたのですね。
M氏 そうですね。この一派は大きく低地ドイツ語と高地ドイツ語に分けられます。低地ドイツ語からオランダ語や英語が出たのです。高地とは山間地、低地とは低くて海岸の傍、言い換えると高地は南方のアルプス側、低地は北方になります。高地ドイツ語から今の標準ドイツ語ができました。
聞き手 どういう特徴があるのですか。
M氏 ゲルマン語派は第1次音韻推移を経てロマンス語派と違う音の特徴となりました。例えば
     ped→foot (p→f) 足
     corn→horn (k→h) 角
     quid→what (kw→hw) 何
などです。
さらに高地ドイツ語は第2次音韻推移をAD4~5世紀頃起こしたのです。例えば
     ten→Zehn (t→ts)
     water→Wasser (t→s 語中、語尾)
     day→Tag (d→t)
     pipe→Pfeife (p→pf, f)
です。
これは英語とドイツ語の差になって現れます。明確な対応関係があります。 ドイツ語でも北の海岸地帯は低地ドイツ語地帯ですからそこでは方言としてしゃべっていることになります。標準語は高地ドイツ語ですから低地の人々はかなり違う標準語を習うことになります。
聞き手 その意味では英語やオランダ語が古い形を維持しているのですか。
M氏 そうですね。第2次音韻推移を起こさなかったからですね。でも英語の場合はオランダ語とは違って、特に1066年のノルマンコンクェスト以来、大きな変化を遂げたので他とは違った形の発展になりました。同じゲルマン語派の中でも非常に変わったものになっている。
聞き手 歴史上の出来事と言葉の変化が連動しているということですか。そういう目で見るとイギリスの歴史には幾つかの節目がありますね。
M氏 そうですね。最初はAD400年を過ぎた頃のアングロサクソンの移住、次が9世紀のバイキングの襲来、そして1066年のノルマンコンクェストですね。
アングロサクソンの移住時は当然、大陸の言葉と同じです。Saxon族は一部が故地に残りました。今でもドイツ国内にNiedersachsenやSachsen州という地名が残っています。これはもちろんSaxonに通じます。Jutes族はJutland半島の名前を誰もが知っていますね。
Anglesは先に話したTacitusの『ゲルマーニア』に出てきます。このように大陸との関係は深く、行き来しても同族ですから言葉の壁は最初はなかったのですね。
移住と言ったのですが実は侵略でした。当時はケルト族が住んでいましたが、辺境に追払ったのですね。でもそのケルト族もブリテン島へは後釜で先住民を追払ったらしいですね。歴史とはこんなものです。
聞き手 なるほど。でもバイキングの襲来で今度はアングロサクソンがやられるのですね。
M氏 そうなんですよ。歴史は繰り返します。9世紀頃はバイキングがスカンジナビアから押し寄せてきました。raid(襲撃、急襲)を繰り返したのですがその内定住するようになったのです。後にDanelawと呼ばれる地域は彼らの領土になりました。ロンドンの少し北から北西のリバプールに向かって線を引くとその北側はバイキングの土地でした。
聞き手 すごいことですね。蒙古が攻めてきて日本の半分を占領したようなものですね。それで言葉への影響はどうだったのですか。
M氏 非常に影響を受けました。随分と語彙が置き換わりました。
例えばcast、take、sky、theyなどおびただしい数です。それに地名にも特徴が出ました。Rugby、Whitbyなど-byの付く地名があります。人名にもJohnsonなどです。そして格変化が簡単になりました。でも北欧語と英語は北と西の違いはあっても同じゲルマン語派なので極端な変化ではなかった。もし蒙古が日本を占領していたら、言葉の違いが大きいわけだから、非常に大きな影響を受けたはずですね。 そこまでの影響は出なかったようです。
聞き手 なるほど。そうは言っても大きな変化を被ったわけですね。
M氏 極端な影響は次に起きた1066年のノルマンコンクェストです。知っているようにフランスのノルマンディー公ウィリアム(Duke William of Normandy )が攻めてきてHastingsの戦いに勝ち、イギリスの王になったのですね。大事件でした。
権力者はフランス語、庶民は英語になりました。フランス語とはいってもパリから離れたノルマンディー方言だったようですけどね。おまけに攻め込んできた皆さんはノルマンディーに定住したバイキングが祖先なのですね。
聞き手 大事件ですね。この時からフランス語が英語に入ってきたということですか。
M氏 そうです。前にも言ったように、英語はゲルマン語派、フランス語はロマンス語派ですから言葉が非常に違う。しかし支配者の言葉のフランス語はいやでも英語に入ってきました。おびただしい数です。このとき以来、英語と他のゲルマン諸語との乖離が起きたのですね。文法もドイツ語的な難しい格変化は省略されて、分析的な表現に変化してきたのです。分析的とは意味を言葉で説明することです。すなわち前置詞や前置詞句の発達です。例えば『in front of』や『at the back of』は典型的な分析的表現です。
聞き手 分析的表現の方が言葉を学びやすいと思うのですがどうでしょうか。
M氏 そうですね。確かに学ぶには楽でしょうね。印欧語は屈折語(inflecting language)といって文法関係を示すために、単語自体が変化します。しかし英語は屈折を分析的表現で簡略化してきているので学びやすいですね。Latin語の手引書などは少し読むだけで頭が痛くなりますよ。Latin語は印欧語古来の複雑な屈折を残しているからです。
ドイツ語を学んだ人は経験しているでしょう。人称、数、時、格などで名詞だけではなく形容詞まで一緒に変化しますね。ドイツ語はそれでも屈折が簡略化されているのですがLatin語はもっと大変です。
Latin語には6個の格があります。主格、呼格、対格、属格、与格、奪格です。
Sanskrit語は更に位置格、具格があって計8個です。
英語では主格、所有格(属格)、目的格(対格+与格)しかありませんね。それも変化するのは代名詞だけです。
中国語は屈折語とは対極にある言語で孤立語(isolating language)といいます。文法的関係を単語自体の変化で表わさないで語順と記号で示します。たとえば現在、過去、未来は文法的には何の変化もない。『昨日』という語を付ければ過去形になるわけですね。『明日』を付ければ未来です。何も付けなければ時間概念はなし。漢詩などはそうではないですか。『牀前看月光』はいつ看たのか看るのか分かりません。主語はどれか。『牀前』とは人の名前で『看』の主語なのか。それとも『牀(寝床)の前で』という副詞句か。これだけ眺めると誤解を生みます。文法はあってないようなものです。
日本語は膠着語(agglutinating language)に入ります。単語に語尾を付けて文法関係を表わします。活用は複雑ですね。屈折語と孤立語の中間に膠着語は位置しますね。
聞き手 なるほど。そういう分類法があるのですね。屈折語は単語数が少なくても多くの情報が入っているということですね。
M氏 確かにその傾向はあるかも知れません。例えばデカルトDescartesの
      Cogito ergo sum. は英語では
      (I) think, therefore (I) am.
です。
括弧内の(I)はなくても対応するLatin語のcogitoやsumにはその意味が内在しているのです。人称だけでなく時もです。英語でもamはLatin語なみでそれのみで理解できますが英語では(I)を省略する習慣はありません。
次はCaesarがローマの友人に戦勝の知らせに送ったという有名な非常に短い手紙文です。
      Veni, vidi, vici.(来た、見た、勝った。)
この簡潔な文に直説法、能動、現在完了、一人称単数という多くの情報が入っています。ただの『来見勝』ではないのです。
ここにある後ろの2つは形を変えてvideoやvictoryなどの言葉に入ってます。日本語にもなっているのですね。
聞き手 なるほど。Latin語は難しそうですね。ギリシャ語もサンスクリット語もそのようなところは似ているのですね。
M氏 その通りです。文法構造も語彙も基本は同じです。難しくとも会得さえすれば喋っていた。過去の無文字時代から連綿と伝えられていたわけですからね。
我々の喋っている日本語も動詞や助動詞の会得は外国人には大変なことと思いますよ。でも我々は活用の変種である『ら抜き言葉』の差異をも敏感に感じながら日本語を操っているわけですね。
聞き手 なるほどね。ところでこれまで語族、語派などを議論してきましたが、なぜこのように言葉が分化したのでしょうか。
M氏 旧約聖書の「創世記」に記されているのですが、人々が天まで届くようなバベルの塔を建て始めたのを見た神が激怒し、罰として人間の言葉を混乱させ互いの言葉が聞きわけられないようにしたのです。
それはさて置き、一口で言えば言葉は時とともに変化しているからです。自分達の日本語を取ってみても自分の世代と今の若い世代あるいは親の世代を比較してみると語彙の変化や語法の変化が感じられますね。これが世代を重ねると大きな変化になります。どの言語も同じです。言葉とは変化するものなのです。
そのような過去の結果が現在の語派の分化ですね。でも語族となると難しいですね。例えば英語と日本語は語族が違います。言葉の構造は全く違います。どのようにしてこのような分化が起きたのかは良く分かりません。将来研究が進んでも解明は難しいかもしれませんね。独立に言葉が出来たのか、分化したのか、お互いに影響しあったのか、どうなんでしょうかね。
聞き手 なるほど。思いがけない文献の発見があるといいですね。
ここで話題をまた英語に戻しましょう。
M氏 はい。1066年のノルマンコンクェスト以来、英語は大きな変化を遂げました。16世紀の終りから17世紀の始めが新大陸アメリカへの移住開始です。Mayflowerで有名なPilgrim FathersがPlymouthに上陸したのが1620年でした。その頃は英語は一通りの変化は終了してModern Englishの時代となっていました。
1066年以前のOld English、その後のMiddle EnglishそしてModern Englishと繋がっています。
Modern Englishまでの変化は非常に大きかったのです。格変化が摩滅し、大母音変化(The Great Vowel Shift)を被り、語彙がフランス語から大量に入り、そしてラテン語からも入るという大変化です。
聞き手 アメリカの言葉がイギリスの言葉と極端な違いがないのは、Modern Englishになってから移住開始となったためですね。
M氏 そうですね。それが大きな理由ですね。Modern Englishにおいて重要なのは、William Caxtonによる印刷術の一般化ですね。これが英語の標準化に貢献したようです。
聞き手 なるほど。印刷術が言葉の変化を拘束したのですか。
M氏 拘束したかどうかまではいえませんが、綴りや表現の標準化は起きたでしょうね。
そうはいってもアメリカとイギリスの言葉はかなり違うようになりました。
聞き手 なぜその違いが起きたのですか。
M氏 これにはいろいろな要素が絡みますね。例えば次です。
     17世紀初頭以来の移民なので、それ以来各々で変化が生じた。
     アメリカへの移民は英語の方言を持ち込んだ。
     移民はイギリスからだけではなく、フランス、ドイツ、スペインなど非英語圏からも多かった。
     新大陸特有の語彙が必要だった。
     Noah Websterが簡略綴りの辞書を編纂して一般化させた。

挙げればまだまだあります。結構大きな影響は方言の持ち込みだと私は思います。
聞き手 それはどういうことでしょうか。
M氏 英語の本国イギリスや既に英語が話されていたアイルランドの英語は歴史があって方言が結構きついのです。日本語でも、関東、関西、東北、九州の方言は相互にはかなり違います。英語でも同じことです。
Pilgrim Fathersの皆さんはEast Anglia地方そこはロンドンのすぐ近くですが、そこの出身のPuritan清教徒です。
しかし、アラモの戦いで有名なデビー・クロケットや、ケネディ、レーガン、クリントン大統領はアイルランド系です。アラモの戦いは1836年ですがその後の1845年にアイルランドでアメリカ原産作物のジャガイモの病害による大飢饉が起きて、飢餓難民として何百万人ものアイルランド人がアメリカの東海岸に渡りました。そしてその人々は大開拓時代に幌馬車に乗って西へ西へと向かったfrontiersmenだったのですね。西部劇に出てきますね。ついでに言うとジョン・ウェインやジョン・フォードもアイリッシュ系です。
聞き手 そのアイルランドとEast Angliaでは方言差はどうだったのですか。
M氏 既に大きな違いがありました。
East Angliaの方言は今のイギリス標準音のように例えばparkの『r』は発音しませんでした。『r』を今でも発音する地域はEngland内でも各地にありますが、East Angliaは当時では既に発音していなかったのです。というわけでそこの言葉は今のイギリス標準音に近いのですね。
ところが、Irelandは違います。そこはもともとはケルト語一派のゲール語の話されていた地域です。以前Irelandに渡ったEngland人は東部IrelandのThe Paleといわれる地域に入植しました。その後、特にスコットランド南部からIreland北部へと大勢が入植し南下しました。歴史に現れるOliver Cromwellはその時のリーダーの一人です。ゲール語は西に追いやられたのです。そしてその人々はScots-Irishと呼ばれています。その結果その他Irishも英語を喋るようになったのですが、もとはスコットランド南部の方言がベースになっているのです。
この人たちは『r』を発音するなど今の米語のもとになっていると思います。
聞き手 なるほど。それでアメリカのPilgrim Fathers入植地のPlymouthやBoston付近はNew Englandと呼ばれるわけですか。
M氏 そのようですね。私は昔、イギリスからBostonに向けて飛んだことがあるのですが、横の席はイギリス人でした。話のなかでBostonはイギリスに似ていて落ち着くと言っていましたね。
聞き手 その結果として英語と米語の差異はどのようなんでしょうか。
M氏 例え話で言えば、日本国内の日本語とブラジル移民の日本語の関係ですね。違うのはアメリカは本家より巨大で現在は情報の主発信地であることです。でも本質は日本語の場合と同じです。
聞き手 といいますと。もっと具体的に話してください。
M氏 述べたように日本語の方言差はきついですね。日本では関東方言の山の手言葉をもとにして標準語が成立しています。イギリスでも事情は同じです。ロンドン周辺の上流階級の言葉をもとにして標準英語が成立しており、地方に行けば方言になります。私の住んでいたManchesterの傍ではbusはブスと言うし、youの古形のthouも使われているのですよ。
アメリカはその方言の飛地になるわけですね。ブラジルで明治時代の日本語が使われるように飛地ではそのようなことが起きます。秋はイギリスではautumnですがアメリカではfallですね。でもイギリスの各地の方言でもfallなんですね。このようなことはあまり聞かされていないでしょう。イギリスの言葉としてBBC英語だけを考えるとこのようなことは分かりません。
そういうわけで、米語は英語の方言の一つなのですよ。ただし話者は非常に多くて勢力のある方言というわけです。米語の中でもNew England地区と中西部では方言差があります。でも米語を代表するのは中西部のGeneral Americanです。ここは先に述べたScots-Irish移民が活躍したところでしたね。西部劇と幌馬車です。
聞き手 ところで米語の最大の特徴は何でしょう。発音ではどうでしょうか。
M氏 そうですね。『シャラップ』でしょうね。古い人は知っていますね。日本占領時代のGIの言葉でしょうか。有名なのは『ワラー』ですね。もう分かったでしょう。shut upとwaterです。母音間の『t』が緩んでしまう現象です。
Bush大統領の演説でも良く分かるでしょう。Blair首相もテレビによく出てきますが違いが分かるでしょうか。子供の喋るコマーシャルでも『ミツビシ モーラーズ』といっているでしょう。
もう一つそれに似た現象でtwentyがtwenyになって『t』が消えます。その訛りのためにBush大統領の演説ではinternationalがinnernationalと聞こえます。inter-とinner-では意味が大違いです。
以前アメリカで『パニャック』と言われても全く分からなかった。実は『Pontiac』のことでした。私はこれら『t』に関連した訛りが一番の特徴だと思いますね。あまり好きになれない特徴です。イギリスの方言では聞かれませんでした。
聞き手 そうですね。確かに独特な訛りですね。アメリカ人はあのように発音しないとアメリカ人と認められないのかも知れませんね。よそ者になるのかもしれない。
M氏 でも実はその後、『ワラー』関連の訛りをインターネット上で調べてみたのですがイギリスの方言で近いものを見つけました。 "Lancashire dialect and accent"に紹介されています。
Traditionally, a /t/ was replaced with an /r/; for example, "I'm gerring berrer", "a lorra laughs". This is now confined to the more rural parts of Lancashire. Around Manchester and Salford, a glottal stop is much more common for /t/.
とあってLancashireの田舎に押し込められるように残っているようです。これはアメリカ訛りの特徴に通じています。ルーツはこの辺にあるのかも知れませんね。なおglottal stopとは一瞬息を止めるような発音を言います。
聞き手 なるほど、結局はルーツはイギリスに辿れるかもしれないわけですか。他の差で特徴的なところはありますか。
M氏 hotがハットになるのは特徴的といえば特徴的ですが、差は小さいですね。
あとは語彙的、文法的なところですね。これはイギリス国内方言差を考えるとそんなに大きなものではないと思いますね。
今では新語はアメリカが輸出国ですね。語法もイギリスが真似ています。gonnaとかwannaはビートルズの歌に出て来ますね。 良識派は目くじらを立てるでしょうが若者はお構いなしです。
聞き手 今はインターネットやテレビなど世界は情報を同時に共有しています。今後は英語と米語の差は縮まるのではないでしょうか。
M氏 ひと頃英語と米語はますます乖離していくと考えられていたのです。しかし電子技術の発達は状況を変えていると思います。今は乖離は停止していますね。新語は共有しています。マスコミや映画、音楽で伝えられるところも共有ていますね。
聞き手 なるほど。では接近はしないのでしょうか。
M氏 乖離は停止したが接近はしないと思います。理由はあまりはっきりとは言いたくないが、一つはアメリカは大きな島国であることです。アメリカの一般国民は国外のことはよく知っていないのですね。自分たちで閉じています。
イギリスの場合はアメリカ文化を心の中で快く思っているとは思われません。言動で感じます。従って簡単には影響は受けません。一部の若者は別ですけどね。
聞き手 アメリカの事情は理解できました。前に話題に出た、イギリス国内の方言事情に話を移しませんか。
M氏 分かりました。
前に話したようにイギリスの方言事情は日本とかなり似ていますね。どちらも島国であることも似させる原因かも知れません。地方に行けばその地方の言葉があります。言葉で出身地の村までを言い当てることが出来るそうですね。
聞き手 あなたはManchesterの傍に住んでいたそうですが、その辺はどうなのですか。
M氏 大分きつい方言があります。筆記しなかったので細かなことは覚えていないのですが、一つは発音が違います。
聞き手 例えばどのようでしょうか。
M氏 そうですね。
目立つのはbut、bus、Sundayなどがオに寄ったウに近い音になることですね。昔の音が残っているのです。標準音は後に変化したものです。標準音の発音記号はVを逆さにした音ですが、この音とて明瞭な日本語のアの音ではありません。曖昧母音schwaをもう少しはっきりさせた程度なのですよ。昔のウの影響があるからです。
その他、いろいろありますが、carなどの音は少し離れたところではキャーのようになったりするし、twentyはtwenteと聞こえますね。語尾がエに聞こえます。そしてcoolをキュールといいますね。更にairはエアではありません。エ寄りのアの音を伸ばすのみです。市長mayorも同じ要領です。またparkなどの『r』を発音する地域が数10km北へと行ったところにあって、そこ出身の人は確かにこの『r』を発音していました。けれどもアメリカのような強い発音ではなかったように思います。
それにAlphabetのHはエイチのはずが彼らはヘイチと言いますね。h音を入れるのです。
聞き手 面白い。ヘイチの方が的を射ていますね。記号hの音は入っているしその方がいいと思いますね。
M氏 この付近はLancashire方言といいます。日本と同じで彼らは会社では方言の影響を受けた標準語を喋り、家に帰れば方言そのものを喋ります。従ってこれ以上は分かりませんでした。
ずっと北に行けばEnglandではなくScotlandになります。ネッシーのいるHighlandはゲール語が残っているようですが、その南のLowland地帯は英語です。ここの方言はきついようですね。Glasgow 出身の技術者はtimeをteamのように発音していました。EnglandでMiddle English時代に起きた The Great Vowel Shiftと呼ばれる変化が起きなかったようです。
聞き手 その方面の書物は多く出版されているのでしょうね。
M氏 そうですね。詳細な方言地図もあります。私は何冊かその方面の本を持っています。発音や語彙の分布など面白いですね。newをヌーとアメリカでいうのは良く知られていて米語の特徴と言われますが、そうでもないのですね。イギリスの方言でもTuesdayをtoo-z-dayとCambridge付近やその東に行った海岸付近では言うし、dew(露)を動詞のdoのようにロンドンの東のDover付近では言うのですよ。
(An Atlas of ENGLISH DIALECTS --- Oxford University Press発行 ISBN 0-19-869274-9)
聞き手 そうですか。方言には多様性があって米語の特徴のかなりの部分が英国内方言に見出されると言うことですね。
ではQueen's Englishとは如何なる英語か聞かせてください。
M氏 Queen's Englishはその名の通り女王陛下の話す言葉です。一口で言えばロンドン地区の言葉がもとになった上流階級の言葉です。地域性と階級性があるのです。ロンドンのお膝元ではCockney言葉があるのは良く知っていますね。労働者階級の言葉です。このように一般の言葉の上にQueen's Englishがあるわけです。
しかしそれをもう少し庶民的にしたBBC英語を考えた方がいいのではないかと思います。いわゆるReceived Pronunciation (RP)の標準語です。これが標準英語です。日本語の標準語に相当しますね。
しかしその標準英語の標準音も時代と共に変化してきたのです。これは興味あることです。Melvyn Braggの『英語の冒険』三川基好訳
ISBN978-4-06-159869-0にその記事があります。
聞き手 標準音が変わるとは。どのように変わったのでしょうか。
M氏 今の標準語RPでは標準と見なされていない音声のいくつかは一般的だったのです。例えばwhile、last、heartなどの音声です。今のRPではワイル、ラースト、ハートですね。ところが200年から300年ほど前では違っていたのです。
聞き手 説明してください。
M氏 引用してみます。
『1791年に出版された「精密英語発音辞典」の中で、編者のジョン・ウォーカーはコクニーを徹底的に批判した。「ロンドンのコクニーの発音は実に野蛮である」と彼は書いた。(中略)またもhが問題になった。whで始まる語を単にwで発音してしまうので、whileとwileが区別できない。(後略)』
となっています。当時は例えばwhiteはワイトではなくホワイトが標準音だったのです。庶民のコクニーがワイトだったのですね。
このwh発音は今では方言と見なされていて、米語やスコットランド方言などに残っています。
聞き手 これを聞くと、hを発音するほうが由緒あることのように思われますね。
M氏 そうかもしれないですね。もともと wh と発音されていたからwhileと綴られていたわけですからね。でも現在の英語標準音RPは h は消えました。
lastもおもしろい。引用してみます。
『今日でも多くの人が南部方言に由来する 長い a を標準音とみなし、上流であることの証と考えている。だが1791年にはジョン・ウォーカーという学者が「発音辞典」という著書の中で 長い a を使うのは「不正確な話し方をする、もっぱら身分卑しき者たち」だけだと書いた。この点に関して彼は執拗だ。「まともな耳の持ち主なら誰でも、これらの語の中の a をfatherと同じように長く伸ばして発音するのを聞くと身の毛がよだつ思いがするだろう」。18世紀のウォーカーにとってはcatと同じ 短い a で発音するのが「エレガントで正確で明瞭だ」というのだった。(後略)』
このように書かれています。
聞き手 びっくりするような内容ですね。標準音でも変わっていくのですね。
M氏 そうですね。
更に300年と少し前の16世紀後半に活躍したシェークスピアの頃については次の記載があります。
『シェークスピア自身の英語は、今日地方のお年寄りが話す英語に似た響きを持っていただろう。英語の方言が"教養人"の英語より古い発音を頑固に保っていることを思えば、それも驚くにはあたらないが。turnやheardのような語では舌を丸めたrを発音していただろう。(後略)』
したがってheartはハートではなく、ハールトと発音されたわけですよ。
聞き手 今でも方言に残っているわけですね。
M氏 ARMの方言地図そのとおりです。
例えばManchester付近ではlastはラーストではなくラストといいます。アメリカの/læst/より/a/に近いのですが良く似たものです。
そして r を発音するのは、先にも述べたようにイギリス各地で方言として残っています。もちろん方言の一つである米語は皆さんが知っての通りです。面白いでしょう。(右の ENGLISH DIALECTS 表紙写真をクリックすると方言地図が出ます。)
聞き手 今の標準音RPに到達するまでに変遷があったと良く分かりました。
M氏 このように変化してきたのですが、現在の標準音はBBCから聞こえるRPとなっています。
聞き手 BBCはinternet上で簡単にニュースを閲覧できるしビデオクリップはあるしinternetラジオもあって接しやすいですね。私は時々アクセスします。
M氏 そうですか。私もやっています。世界は非常に狭くなりましたね。internetは素晴らしいですね。多くの欲しい情報が取れますね。うまく検索するとLancashire方言を始めとするいろんなサイトに辿り着けます。もちろん英語で書かれていますけどね。
聞き手 大分話が盛り上がりました。話は尽きませんが、大分長くなったし今日はこの辺で終りにしましょうか。
M氏 そうですね。次回はまた話題を変えてやりましょう。では。
これはVirtual Interviewです。
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